「杉並区立郷土博物館」

b0089323_2351125.jpg 2006.8.18 西洋美術史講座の帰途「杉並区立郷土博物館」に立ち寄った。b0089323_2323039.jpg 
 館の正門として、「名主旧井口家住宅長屋門」(区指定文化財)が移築されているのが面白い。展示館の裏手に出て、薪を背負って書を読む二宮金次郎像(尊徳の少年時代)を左手にみて進むと、区指定文化財の古民家「旧篠崎家住宅主屋」がある。建物の裏手に「杉並・荻窪」の名称ともなった「おぎ」の葉が茂っていた。建築年代は、長屋門が江戸時代文化・文政年間(1804-1829)頃、住宅主屋は、寛政年間(1789-1800)頃とのこと。
 博物館館は、嵯峨公勝侯爵邸宅跡地に建てられている。公爵の孫娘が、愛新覚羅溥傑(ラストエンペラー・満州国皇帝溥儀の弟)にこの地から嫁いだとの解説があった。しかし、ゆかりの物は「庭石」と「白雲木」のみであった。b0089323_2365311.jpg
 「金次郎像」をみて、尋常小学唱歌の「芝刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け、弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」を歌ったことが想いだされる。通っていた小学校の校庭にあった銅像は、天皇陛下の写真をかざった建物の横にあったので、毎朝礼で天皇陛下の肖像を校長の号令で拝んだ(拝まされた?)ことを連想してしまった。戦時中に金属供出で多くの銅像が石造になったと聞いたことがあるが、郷土館の金次郎像も石造であった。親、兄弟を簡単に殺してしまう事件が毎日のように報道される昨今を憂い、教育基本法改正議論も大切だが、金次郎の唱歌も捨てたものでもないと一人つぶやく。b0089323_2322553.jpg
 特別展では「杉並のお風呂屋さん」が開催されていた。都内には大型銭湯が出現し、露天ぶろ・温泉ブームだが、杉並区内の銭湯は、現在40軒で最盛期の昭和40年代の3分の1となっているそうだ。銭湯に通ったのは戦後数年間(昭和20~23年頃)だから45年位前ということになる。壁に「富士山」が描かれていたなぁ。今の風呂屋さんも、定番絵だった「富士山」が描かれているのだろうか。
# by god-door70 | 2006-08-18 22:42 | 文化財・庭園(temple,park) | Comments(0)

切手に見る紙のお話(10) 紙のつくり方(1)

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 紙のつくり方(1)
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 第1次オイルショックの時に、トイレットパーパーが店頭から消えたことがある。店にご婦人方が行列をつくり、争って買い求めた。今は、スーパーの目玉商品となったり、街角で宣伝用にティッシュが無造作に配られ、それを受け取らない人が多い状況だ。
 情報の電子化でペーパーレスが進んでいるとはいえ、紙は依然として切手は勿論のこと、紙幣、新聞、書籍、筆記用紙、事務機器用紙、写真、ダンボール箱などなど生活に欠かせない物資であるのに、その重要性を認識している人は少ない。
 「紙は文化のバロメーター」と言われているが、どのようにして紙が造られているかを知る人は更に少ないのではないだろう。紙の製造工程を描く切手を見ながら紙のつくり方―伝統的“手抄き”と”機械抄き”―をお話しましょう。

<原料から“紙料”へ>
 紙の原料は、木材か、非木材の植物繊維が使われる。木材の場合は、広葉樹ではカバやブナ、針葉樹ではアカマツ、ツガなどが使われ、非木材ではワラ、バガス、竹、麻などである。
 紙をつくる工程は、植物繊維を水の中でたたいて膨張させ、もみほぐし、しなやかすることから始まる。b0089323_15565369.jpgb0089323_1558067.jpg
 これは中国で後漢(西暦25~220年)の時代に、紙を書写材料に適するように改良した“紙祖:蔡倫(?~121年)”(右:図1、図2)の時代も同じで、ボロ布をうすの中でたたいて繊維をもみほぐしたといわれている。
 次の工程で、現在では紙の用途に応じてさまざまな添加物が加えられる。紙の不透明性、白色度、印刷適性の向上を目的に填料や染料、紙力増強剤等が混合・撹拌されて、“完成紙料”となり、紙を抄く工程に送られる。(下右から:図3、図4、図5)
b0089323_15582837.jpgb0089323_15584918.jpgb0089323_1682590.jpg







 なお、紙づくりは、中国古代4大発明(造紙術、羅針盤、印刷術、火薬)のうちの一つである。
 
 (図1)紙を書写材料に適するように改良した”紙祖” 蔡倫(中国・1962年)
 (図2) ”紙祖” 蔡倫と手抄きの製造工程(香港・2005)
 (図3)手抄きの製造工程「原料を切る」(台湾・1994年)
 (図4)手抄きの製造工程「煮る」(台湾・1994年)
 (図5)原質工程(サルファイドパルプ・ダイジェスター)(スウェーデン・1974年)
# by god-door70 | 2006-08-17 16:44 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

アメリカ映画「美しい人」

 2006.8.15 「エミール・ガレとドーム兄弟」ガラス工芸展のために渋谷に出たので、アメリカb0089323_14544.jpg映画「美しい人」(9 lives)を観た。
 「①娘に愛をそそぐ人、②いま手にしている愛を見出す人、③愛をぶつける人、④お互いの弱さを知る人、⑤かけがいのない人、⑥愛を求められる人、⑦家族があることの喜びを知る人、⑧夫の愛の深さを知る人、⑨神の祝福を受ける人」を9人の女優たちが演じる女性の生き様をめぐる物語。オムニバス映画なので、嫌悪感をもったり、同情したり、感心したりで観ている方も忙しいが、最後の物語でやっと落ち着いた気分。それぞれのケースが複合してめぐりめぐってくる人生が現実なのかな。マイ好感度:中の上。
# by god-door70 | 2006-08-15 20:02 | 講演会・映画 | Comments(2)

「エミール・ガレとドーム兄弟」ガラス工芸展展

b0089323_10512123.jpg 2006.8.15 渋谷ザ・ミュージアムで、エルミタージュ美術館秘蔵のガラス工芸品が展示されていたので、「エミール・ガレとドーム兄弟―フランスからロシア皇帝への贈物」展に出向いた。
 これまで、「北澤美術館」(諏訪)や「サンクリノ美術館」(熱海)などで、ガレの作品に沢山出会っているが、今回は門外不出というガレの傑作《花器(トケイソウ)》を観ることができた。この傑作は、フランス大統領がサンクトペテルブルクを訪れた際に、皇族一族に贈物として持参した作品とのこと。台座の赤色は、キリスト処刑の血を表しているとか、「ではなぜトケイソウが」となると、絵画と同じく作品にこめられた製作者の想いを読み取ることは難しい。パンフレット左に花器の一部が刷られている。ガラス工芸品のほかに、寄木細工のテーブル《ロレーヌの植物》や豪華装丁本《黄金の書》など珍しい展示品もあった。
 静かな雰囲気の中で鑑賞できたが、ガラス工芸品の常設美術館と違って作品の素晴らしさを引き出すための照明効果への配慮が貧弱で残念だった。
# by god-door70 | 2006-08-15 18:49 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(1)

切手に見る紙のお話(9)ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(3/終)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(3/終)
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<天才学者・シャンポリオン>
 フランス人学者ジャン・フランソワ・シャンポリオン(1790-1832)が、未解読文字の存在を知ったのは、数学者フーリエのサロンで碑文を見せられた折で、その時彼は11歳であった。17歳までに13カ国語をマスター、18歳でグルノーブル大学の教授という並外れた才能の持ち主であった。 天才と称しても過言のないシャンポリアンをしても碑文の解読は難解で、多数の学者たちとしのぎを削って競争した。
    b0089323_15481745.jpgb0089323_1548458.jpgb0089323_15491246.jpg





<ヒエログリフ解読に成功>
 ヒエログリフ解読の最大のライバルはトーマス・ヤング(1773-1829)であった。彼は、古代エジプト文字研究に業績をあげたイギリスの自然科学者で、碑文の一部特に固有名詞の解読に成功した解読者の一人だ。両者の間は険悪で、解読の考え方や成果に関して誹謗や中傷合戦を繰り返していた。>b0089323_16184244.jpg
 最終的には1822年、シャンポリオンが、32歳の時に碑文すべてを解読することに成功し、後年「エジプト学の父」と称されることとなる。ロゼエタストーンの発見か23年の歳月が流れていた。
 彼の功績は、「ヒエログリフが表意文字であり、かつ表音文字でもあったことを解明し、またヒエログリフのアルファベットを発見したこと」である。
 解読に成功した日から5日間、彼は眠り続けたと伝えられているが、その集中力と情熱には驚かされる。病弱な体質と貧困と戦いながら短い人生を駆け抜けたシャンポリオンは、パリ市の東にあるペールラシェーズ墓地に眠っている。右映像は、シャンポリオンの墓碑。

 切手
 (左) 「神聖文字解読150年」シャンポリオンと碑文(フランス・1972)
 (中央)「神聖文字解読150年」シャンポリオンと碑文(エジプト・1972)
 (右) 「「シャンポリオン生誕200年」肖像と碑文(モナコ・1990)
# by god-door70 | 2006-08-10 16:03 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

小津和紙博物舗「小津史料館」

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b0089323_224197.jpg 2006.8.8 小津和紙博物舗「小津史料館」を見学。
 当館は、承応2年(1653)江戸大伝馬町に紙問屋を開業して以来350年の歴史を誇る「紙と小津」の和紙史資料館。重要無形文化財・人間国宝の岩野市兵衛、谷野剛惟、濱田幸雄が漉いた和紙や中央区登録文化財古文書など和紙関係の品々が展示されていた。階下の和紙専門店舗では、数万点に及ぶだろう商品が扱われていたのには、しばらく眼が奪われた。
 右は、休憩室にあった紙製ウエディングドレス、所謂「紙衣」。
 原料から和紙漉きの工程を実演するコーナーがあり、半紙サイズの手漉き和紙を作る体験もできるとのこと。
# by god-door70 | 2006-08-08 22:03 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(8) ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(2)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(2)
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<ロゼッタストーンの文字>
 ロゼッタストーンの黒く輝く岩肌には上段、中段、下段の3層に分かれて異なる文字が刻まれていた。上から「ヒエログリフ(神聖文字・聖刻文字)」「デモテイック(民衆文字)」「ギリシャ文字」である。(左図)
b0089323_2321765.jpg ギリシャ文字は当時支配階級で使用されていた言葉で、石碑発見後、時を待たず解読され、その内容は紀元前196年のエジプト王プトレマイオス5世エビファネス(紀元前210年-180年)の戴冠記念式の知らせに関するものであった。b0089323_2352219.jpg
 一方、「ヒエログリフ」は、ラテン語の「ヒエロ」(神聖な)と「グリフ」(刻み込む)から成る。紀元前
3100年頃から3000年余にわたり使用され、その後死語となっていた。また「デモテイック」は、エジプト民衆の言葉(デモ)の言葉で、ヒエログリフを簡単に崩した文字である。
 ヒエログリフとデモテイックは、ギリシャ文字と同じ内容を表していることが分かったものの、解読されたのは、発見から23年後の
1822年であった。

 (切手)ロゼッタストーンが3種類の文字になぞらえて、石の形が赤・青・緑に色分けされている。国際識字年を記念して発行された。(日本・1990)
# by god-door70 | 2006-08-08 10:29 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

「阿佐ヶ谷七夕まつり」前日風景

 2006.8.4 美術講座受講の後、バス乗換えのために阿佐ヶ谷で降りたので、明日から開催される「阿佐ヶ谷七夕まつり」商店街を久し振りに歩いてみた。祭り前日なので、既に七夕飾りが完成しているのか分からないが、人の賑わいがまるで違うことは想像できる。きっと多くの人たちが七夕まつりを楽しむことだろう。下の映像は、まつり前日のもの。
《まつり開催で賑わう風景は、tokutoujinさん のブログへ》
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 私の学生時代には、青梅街道から駅までのバス通りはまだなく、この商店街を通って阿佐ヶ谷駅から中央線に乗り、国立まで朝な夕なに通った6年間が想いだされる。
 学校帰りに、買い食い禁止だったが暑さに負けてアイスキャンデーを舐めながら帰った道。雨が降ると、母親が傘を持って迎えに来てくれた道でもある。その母は、今年6月に
98歳になった。時は、お構いなしに過ぎて行く。
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# by god-door70 | 2006-08-04 23:36 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(7) ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(1)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(1)
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<ロゼッタストーンの発見>
 1798年7月、フランス軍総司令官ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は、数万の精鋭を率いてエジプト侵略を開始し、イギリスの海外政略に対抗するためナイル河西部デルタ地区のロゼッタ村に要塞を築いた。b0089323_1732426.jpg
 1799年8月、その工事現場から石碑の一部が兵士たちによって掘り出された。(右・図1)発見地の村名から「ロゼッタストーン」と命名され、古代エジプト史最大の発見となった。
ナポレオンのエジプト遠征には軍事上の成果はなかったが、この遠征に参加した学術調査団を構成する学者により収集された膨大な資料と情報はエジプト歴史研究の礎となった。
<ロゼッタストーンの形状と保管>
 石は黒色の花崗岩(御影石とも呼ばれる)で、高さ114cm、幅72cm、奥行き28cm、重さ762kg。(左・図2)b0089323_17323360.jpg
 ロゼッタストーンは、フランス軍が地中海会戦でイギリス軍に敗れたためイギリスの戦利品となった。1802年以降はロンドンの大英博物館で保管され目玉展示物の一つとなっている。博物館を訪れた際には、ガラスケースに入った石は古代エジプト文字の解説パネルと共に展示され、沢山の人が回りを囲んで見学していた。
 石が発見されると同時に碑文のインクによる拓本が作られ、エジプトからヨーロッパに伝わった。イギリスに持ち去られた後、学術研究用に石膏模型や図版が作成され、19世紀初めには、ヨーロッパ中の古代エジプト文字解読に関心のある学者たちによって解読競争が始まった。

 (図1)ナポレオンのエジプト遠征。要塞工事に携わる兵士たちと学術調査団(フランス・
1972)
 (図2)ロゼッタスト-ンの形状を描く。発見200年記念(エジプト・1999)
# by god-door70 | 2006-08-03 17:44 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

上野公園付近散策

 2006.8.2 若冲絵画展鑑賞の後、上野公園付近の建造物などの写真を撮りながら散策。不忍池のハスは、訪れたのが昼真っ盛り時刻のためか花弁を閉じ、朝を待っている風情。明朝は、ポンポン音をたてて競って咲くのだろう。
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 若冲絵画展は国立博物館本館(下左)の左奥にある平成館で開催。上野東照宮拝殿(1651年建立)(下右)は、唐門と共に国宝であるが、公園の賑わいを忘れたように参拝者は3組の外人だけだった。損傷が目立つが、逆に重厚さを感じる。
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 公園内には、銅像や記念碑などが点在しているが、こちらも隠れてしまった存在になっているようだ。野口英夫像、正岡子規野球場記念碑、小松宮彰仁親王碑を撮る。
 野球場脇に子規の句「春風や まりを投げたき 草っ原」が刻まれていた。なぜここに?公園空き地で明治23年に子規が野球に興じたのを記念してとのこと。親王は、伏見宮家8代目王子で鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争に参戦。明治20年日本赤十字社総裁となり、社事業発展に貢献した人物のようだが、なぜここには判然としない。最後の映像は、東照宮拝殿横に建立時に植えられという350年以上の「梓の木」の花と実。この名に相当するのは、中国原産「キササゲ」(ノウゼンカズラ科)の落葉高木。
b0089323_1773218.jpgb0089323_22222629.jpgb0089323_2222452.jpgb0089323_2223155.jpg
# by god-door70 | 2006-08-02 21:54 | Comments(4)

プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」

 2006.8.2 東京国立博物館で開催中の《プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」》を観る。プライス氏は、江戸時代の個性的な画家たちの作品に目を奪われて収集を始めたとのこと。伊藤若冲(1716-1800)のほか、円山応挙、永沢芦雪、酒井抱一などの作品も展示されていた。
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 「日本美術を鑑賞する際、光の果たす役割は非常に重要である」との氏の持論から、展示照明を変化させて絵の表情がさまざまに変わることが実感できる展示方法(光と絵画の表情コーナー)が一部とられていた。「なるほどなるほど」と感じ入る。
 「氏の絵の見方は、遠くから観た後に、近づいて作者名を見る」とのガイド説明。確かに、画家名を見てから絵を鑑賞することはある。そのために著名な画家になると総ての作品が良く見えてしまうことがあるが、きっと愚作もあるのだろう。絵画鑑賞法への一つの警鐘か? 
 興味を持った伊藤若冲2作品「鳥獣花木図屏風」(上)と「猛虎図」(右)。前者は、その数万単位にもなるコア(網目)一つ一つに色付けられて全体図になっている。近づくとくっきりと網目が見える。上の映像でも象の部分に線が見えている。後者は、虎の毛一本一本が線状に描かれ毛のふわっとした感じが伝わる。その繊細な描き方に驚き、脱帽。
 プライス家の浴室タイルに「鳥獣花木図屏風」と同じ絵が描かれていて、象の鼻のところに「水道の蛇口」が取り付けられているとか。思わず笑ってしまった。「水道の蛇口」でなく「水道の鼻先口(?)」だ。氏の若冲への入れ込みが相当のものだと推察できる。
 江戸絵画約100点の作品を楽しんだ一日。
# by god-door70 | 2006-08-02 20:25 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(3)

「府中市いこいの村」の「大賀ハス」

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 2006.8.1 国立駅舎写真撮りの帰途に、「府中市いこいの村」に回り「大賀ハス」を見る。
 大賀ハス(蓮)は、昭和26年、千葉市検見川遺跡で、ハス博士といわれた「大賀一郎」東京大学農学部教授(下)が、約2000年前に咲いていた古代ハスの種3粒を発見し、そのうちの一粒の開花に成功したものだという。b0089323_1843728.jpgハスは博士の姓を採って「大賀ハス」と名づけられ、日本国内はもとより世界各地に分植されている。b0089323_18441061.jpg
 発祥の地・千葉市が「市の花」(右・図)と指定しているのに、なぜ府中の地に大賀博士の記念碑?。碑に刻まれた「蓮博士大賀一郎先生は戦災にあい、昭和20年6月1日府中に移り住み、83歳で亡くなるまでの20年間を当地で過ごされました。初めは食料事情が特に悪い頃でしたが近隣みなさまの温情に包まれ、やがて大賀会や蓮の会が誕生し、なお市民各位の個人的な支援の手ものべられてまいりました。その間、先生は二千年蓮の発芽、当麻寺に伝わる曼荼羅の研究と多くの成果を遺されました。そして二千年蓮は今なお日本各地に花を咲かせています。先生のお仕事を讃ええると共に府中の人々とのふれあいを記念してこれを建てます」を読み、疑問が解けた。

 (図)ふるさと切手千葉版「大賀ハス」(1999.7.16)
# by god-door70 | 2006-08-01 18:36 | 何でもみよう,やってみよう | Comments(0)

取り壊し計画のある「中央線JR国立駅舎」

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b0089323_1613136.jpg 2006.8.1 中央線JR国立駅舎の取り壊しが計画されているとの新聞報道を読んで、6年間通学した懐かしい駅舎を記録に残しておこうと出掛けた。
 当時の駅前はロータリーだけで店もまばらで閑散としていたが、その変わり様には驚かされる。とは言っても、授業に遅刻しそうで駅の改札を走り抜けた50年前の話だが・・。
 国立駅は大正15年の竣工。大正12年の原宿駅舎に次ぐ、現存する2番目に古い木造駅舎で、三角屋根の個性的なデザインは、その後、多くの駅のデザインの手本となったそうだ。建物の構造の一部に、八幡製鉄所(現新日鉄)をはじめ、イギリスドイツ、ベルギーなどでつくられた古レールが使われていて、当時の鉄道建築方式の貴重な史料となっていることもあり、駅舎保存運動が起こっている。高層マンション高さ制限訴訟で知られる国立市だが、駅舎保存問題も開発行為との戦いとなっている。
 いずれにしても、古い貴重な建物が壊されていくのは残念なことだ。
# by god-door70 | 2006-07-31 16:07 | Comments(5)

切手に見る紙のお話(6) 紙がない時代の書写材料(5-終)

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紙がない時代の書写材料(5-終)
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[その他の書写材料]
 東アジアでは、竹は大切に育てられた植物のひとつである。これを割れば細い短冊状の板(竹簡)(左・図1)となり、幅は細いが1行程度の字を書くことが可能である。ひもを通して綴じれば1冊の手帳ができるので、書写材料として用いられることとなった。b0089323_21531754.jpg
 木製のものは木簡と呼ばれた。木簡は板の表面を平らに削れば簡単に作れ,竹の少ない地方で重宝がられた書写材料であった。しかし、竹簡・木簡は1枚に書ける行数が少なく、重く嵩張る欠点があった。そこで、紙以前の書写材料としては最良とされたのが絹である。絵や図を描ける幅広があり、にじみが少なく、細字も書くことができた。ただ、高価であることが最大の欠点で、一般民衆には広く普及しなかった。b0089323_2155754.jpg
 そのほか、インド、セイロン、ビルマなどではヤシ科のシュロの葉(右・図2)、タイではタリポットヤシの葉、メキシコではイチジクの木の樹皮というように木の葉や樹皮が書写材料として使われたところも多かった。
 ニュジーランドでこの国最高峰クック山の氷河を見に行った時に、ガイドが登山途中で裏が白い葉を取って、「先住民であるマリオ族が紙の代わりに使っていた葉」と説明していた。樹の名前をたずねたら、翌朝「Senecio rufiglanndulous var rufiglomdlous」なるメモをくれたが、不勉強でまだ調べていない。学名なのかチンプンカンプン。どなたか教えて!

(図1) 竹簡(中国・1996年)
(図2) ヤシ科のシュロの葉(ラオス・2003年)
# by god-door70 | 2006-07-30 22:04 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

久保修「紙のジャポニスム」展を観る

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 2006.7.30 新宿伊勢丹アートギャラリーで開かれている個展【久保修「紙のジャポニスム」】を観て、「切り絵」の世界を楽しんだ。
 一枚の紙に枠を残しながら仕上げる切り絵でも平面的に見えたり、描いたものが飛び出してくるようにも感じたりする。花と風景を題材にした切り絵のほかに、道具の実物展示もあり興味深かった。
b0089323_192467.jpg 展示品のなかに、氏がデザインした切手「ふるさと切手東京版・隅田川花火」(右)と「同じく東京版・朝顔」(1999.7.1)や年賀葉書(2005・出初式/2006・獅子舞)があった。
 全く知らなかったので、偶然の発見に驚いた。何でも機会を持てば、何かにぶつかる。
# by god-door70 | 2006-07-30 18:59 | 切り絵(作品展、教室関連) | Comments(0)

切手に見る紙のお話(5) 紙がない時代の書写材料(4)

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紙がない時代の書写材料(4)
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[亀甲獣骨]
 中国の殷時代(紀元前18~12世紀ごろ)に亀甲や牛甲骨に文字を彫って記録した文が、1899年に河南省安陽市北西郊外で発見された。b0089323_10511951.jpg
中国で最も古い文字で甲骨文(右・図1)と呼ばれている。b0089323_1051314.jpg
 亀甲(左・図2)や獣骨は書写材料として広範に使用されたのでなく、主として占い師達のための素材であったが、占い内容と結果を鋭い刃先で彫り込み記録したという意味では書写材料の一つであった。占いの方法は、亀甲や獣骨の裏側に小さな丸いくぼみをつくり、その部分に焼けた木片を押しつけて、割れ目を生じさせる。その割れ目の形状で吉凶を占った。
 紀元前の古き時代に、何を占ったのだろうか。天気、獲物、敵の来襲、収穫、方角などが想像されるが、意外と男女の相性占いだったりして。

(図1)亀甲と申骨文字。(台湾・1979年)
(図2)亀甲(中国・1996年)
# by god-door70 | 2006-07-28 10:54 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(2)

遅ればせのサッカー談義

 2006.7.27 遅ればせのサッカー談義。ワールドカップが終わったが、フランスの選手の暴力事件でサッカー界にとっては苦しい展開が続いていた。ようやく罰金と社会奉仕で決着した。開催期間中は、新聞も数面を使って報道し、世界杯の争奪戦に世界中が燃えていた。そのお陰で、サッカーの名称の由来など興味深い記事も散見された。b0089323_10292676.jpg
 その中の一つは、「地球は洋の東西南北を問わずにサッカーで燃えている。だがそのうち何割の者が、サッカーという言葉が、蹴球の規則を統一した協会(アソシエーション)の略語(*)であることを知らないのはよいとしても、戦場で敵兵の頭蓋骨を蹴ることからその遊びが始まったことを知っているだろうか」(秀明大学学頭、評論家・西部 邁)である。
 球状のもの(ボール)を足で扱う競技(フットボール)は、古くは中国で、兵士の訓練や一般市民の遊びとして広く行われていたのだから、後半部分がもし真実とすれば「兵士の訓練」の際に敵兵の頭蓋骨を蹴ったのだろうか。あまり信じたくない話だ。
 もう一つは、「中世のサッカーは、町の若者の即興的な喧嘩で、初めはルールなど一切なかった。まさに暴徒による乱闘だったのでエドワード二世は禁止令を出している。やがて手を使わせると殴り合いになるから、足と頭だけ使うことを許すルールができたのだろう。暴れるサポーターはその発生の名残を留めている」(小説家・曽野綾子)、「サッカー会場で暴れまくるフーリガンの蛮行がその遊びの歴史にも関係している」(前掲・西部 邁)である。
 ラグビー党の私にとっては、試合そのものにはあまり関心がなかったが、サッカーのWC(便所ではなく世界杯)に関する新聞報道のお陰で、「サッカーの名称の由来」、「選手でなくサポーターが喧嘩する歴史的背景」、「フランスが人種混合野チーム(移民問題)」、「人種差別」、「社会奉仕付き罰則」など興味深い今回のWCであった。

(*)正式名称は、「アソシエーションフットボールassociation football」で、サッカーの語源は、associationのsocにcを重ねerをつけ、soccerとなったとのこと
# by god-door70 | 2006-07-27 10:32 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(2)

切手に見る紙のお話(4) 紙がない時代の書写材料(3)

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紙がない時代の書写材料(3)
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[パーチメント(羊皮紙など)]
 紀元前1500年頃になると、羊、山羊、子牛などの動物の皮を素材としたパーチメントが、書写材料として出現する。パーチメントは折り曲げに強く、虫に喰われることが少なく、保存性にも優れていたので、 冊子本にも適していた。紙が出現するまでの間、パピルスに代b0089323_2163526.jpgわる書写材料として広く使われるようになる。
 動物の皮の供給が容易でなければ書写材料の素材として適さないところだが、羊は旧約聖書では神が人間に食べることが許した動物であった。雄の子羊は重宝がられずに間引かれ、食料用に殺され、その羊皮がパーチメントに利用された。しかし、パピルスと比べれば、高価なものであった。

(図)パーチメントは貴重であったため、主として王侯貴族たちによって書や冊子本などに用いられた(エジプト・1966年)
# by god-door70 | 2006-07-25 21:11 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

調布市花火大会

b0089323_20413038.jpg2006.7.23 朝から雨の心配をしていたが、開催されるとのことで雨具用意して出掛けた。調布市花火大会見物は、今回で3回目になる。
 一瞬に消える花火も打ち上げ数1万発となると壮観である。打ち上げ場所に近いので、大スターマインが炸裂する時は、頭上から花火が落ちてくる感じ。フィナーレの尺玉100連発が、この花火大会の売り、地響きが腹に伝わってくる。多摩川河川敷に並べられたテーブル席で夕涼みながらの花火は格別だ。
 残念ながら今年は小雨が時折落ちたが、70分間1万発を充分に楽めた。 
 花火の写真を撮るのはなかなか難しい。花火をきれいに撮影するには、何か特別の方法がありそうだ。
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b0089323_21403139.jpgb0089323_21535862.jpgb0089323_17154156.jpg

# by god-door70 | 2006-07-23 20:40 | Comments(2)

切手に見る紙のお話(3) 紙がない時代の書写材料(2)

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紙がない時代の書写材料(2)
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b0089323_2232569.jpg[パピルス]
 紀元前2000年前頃、多年生の草木「パピルス草」(図1)から作られたパピルスが、書写材料として軽くて、保管しやすく、持ち運びも容易ということで古代エジプト人によって用いられることになる。
 パピルスにするには、まずパピルス草の外皮を剥ぎ取り、芯の白いスポンジ状の繊維質を細長い薄片に裂いて、それをすき間なく平行に並べる。次に、その上に同じ方法で直角に薄片を重ねる。そのあと水分を圧縮して、天日乾燥してできあがる。b0089323_2221863.jpg
 パピルス(図2)のサイズは、1枚が約30cm四方。折り曲げに対して弱いので綴じることが難しく、数枚をつないで巻物として使われた。古代エジプト人は、文学・科学・宗教・伝説などをアラビアゴムが加えられたインキで、先を2つに割った葦ペンを用いてパピルスに書き記した。
 しかし、パピルスは冊子本(綴じた本)とするには裏に書きにくいことや破れやすいなどの欠点があったために、羊の皮で作るパーチメントが出現し普及するに従って書写材料としての役割を終えることとなる。原料のパピルス草が、天候によって左右され材料として量的に不安定であったり、枯渇していったことも、パピルスの衰退要因として挙げられる。

(図1)パピルス草は、太さ10cm、高さ4~5mに達する。古代にはナイルのデルタ地域の沼地に繁茂した(エジプト・1966年)
(図2)パピルス製法は秘密とされ、エジプト王プトレマイオス家の専売事業であった。パピルスの原料であるパピルス草が不作の年は役所の仕事が停滞したと伝えられている(エジプト・1976年)
# by god-door70 | 2006-07-20 22:04 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

切手に見る紙のお話(2) 紙がない時代の書写材料(1)

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紙がない時代の書写材料(1)
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 紙の発生は古く,約2000年の歴史をもつ。軽くて丈夫な紙が西暦紀元頃に中国で出現する以前に,人類は文字などを何に書き留めていたのだろうか。紙がない時代の書写材料を探ってみる。
[原始的材料―岩石・石板・粘土板]
 人は自然の猛威から身を守るために,そして同時に、動物や他人に侵害されないために集団を作った。集団を維持していくためには情報交換の必要が生じ,言葉や記号,文字が生れた。
 情報伝達の手段として記号や文字を書き留めておく材料として選ぶとすると,野に山に散在する手近で、しかも豊富に存在するものがその対象となる。

b0089323_1549660.jpgエジプトのロゼッタストーン(左・図1)や、b0089323_21523317.jpgスペインのアルタミラ(下・図2)をはじめとする各地の洞窟で発見されている壁画など、岩石や石板や洞窟の壁がしばしば書写材料として選ばれたのは、こうした理由からである事が容易に想像される。

 メソポタミア文明が栄えたチグリス・ユーフラテス両河の下流は毎年洪水が発生し,その流す土砂(細かい粘土)によって二つの河が接近して合流b0089323_17310100.jpgしてしまったほどのすさまじいものであった。この堆積する粘土をシュメール民族は書写材料として利用することを考えついた。文字や絵柄を書くために細かい粘土を選り分けて練り,湿り気が残っている粘土板(右・図3)に楔形を押しつけて文字を記し,それを太陽熱で乾燥して保存した。
しかし,岩石,石板にせよ粘土板に記された文書や記号を運んだり保管することは,重いことや場所をとるために不都合である。そのため書写材料として軽く,保管しやすいパピルスやパーチメント(羊皮紙など)が登場することになる。

(図1)ナポレオンがエジプト遠征の際にフランスに持ち帰った歴史的遺産ロゼッタストーンと解読者シャンポリオンの肖像(エジプト・1972年)
(図2)スペイン・アルタミラ洞窟に描かれた、旧石器時代の壁画(スペイン・1967)
(図3)最古のギリシャ文字が刻まれた粘土板・紀元前14世紀(ギリシャ・2002年) 
# by god-door70 | 2006-07-19 15:54 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(1)

囲碁(研修会)

 2006.7.15 碁楽会の研修会に久し振りに参加。
 布石研究の後に、7/1に対局した棋譜を題材に先生の講評を受けた。①急場に手を抜いた②相手弱点への攻め遅れ③無理な場所への打ち込みがあるとの指摘を受けた。指導いただくと「なるほど。正にその通り」と思うのだが、対局中は全く見えてこないのはその程度の実力。良い勉強になった一日。
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# by god-door70 | 2006-07-15 16:41

菊の講習会

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 2006.7.9 大宮八幡宮で「菊の講習会」の2回目を聴く。
 鉢上げ、矮化剤散布、根ずまり対策、病虫害対策などの解説があった。
 品評会に出品される方々が多く、質問内容のレベルが高く、専門用語が飛び交い、総てを理解するのは難しかった。
 何はともあれ、まずは咲かすことから始めよう。咲けば成功。
 難しいことはそれからだ。
# by god-door70 | 2006-07-09 23:12 | Comments(0)

イラストレーター新井苑子さんデザインの切手

b0089323_16461658.jpg 2006.7.8 夏のグリーティング切手のデザインを手がけられた「新井苑子さん」について2006.6.30にも書いたが、2000.6.21に「九州・沖縄サミット記念切手(開催県の県花と海)」(下右)、2001.7.2に「日本ユネスコ加盟50周年記念(日本の夏の花とハト)」(右)、2002.8.1に「第12回世界精神医療横浜大会記念」(下左)もデザインされている。私が切手に興味を持っていることをご存知で、それぞれ発行の折に、サインした切手シートを頂いた。花を描くイラストレーター「新井苑子さん」の益々のご活躍を期待している。

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# by god-door70 | 2006-07-08 21:38 | Comments(0)

入谷朝顔市

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 2006.7.6 所用の途中で、入谷を通ったので「入谷朝顔市」に立ち寄った。市の初日で、朝早かったからかまだ人出は少なかった。7/6~7/8の3日間で、50万人の人出を予想しているとか。
 パンフレットに、「昭和通りと言問通りの交差点付近に約100店、2万鉢が並ぶ夏の風物詩。明治初期に入谷の植木屋が朝顔造りを始めて評判になったが、大正時代に一度途絶えた。昭和25年地元有志により復活、毎年鮮やかな大輪の花を咲かせ、たくさんの人で賑う」とある。大輪が咲くというので2鉢手に入れた。夏の朝が楽しみだ。鉢に「米のとぎ水をたっぷりと!」とある。こちらの世話のほうが大変だ。    
 知人から「八重の朝顔」の種をいただき、まだ10cm程度しか伸びていないが、珍しい品種のようなので、こちらの方も上手く育てることが出来ればいいのだが・・
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# by god-door70 | 2006-07-06 23:38 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(1) 紙はどのようにして作られるか

紙はどのようにして作られるか
  紙を作るのに絶対に必要な抄紙用網の専門メーカーに、40年以上も勤務していたので、「紙」には特別な愛着を持っている。
 抄紙用網は、手漉きでは竹簀(たけす)だが、機械抄きでは金属網、または高分子糸で織った網である。紙の仕様・品質は、網が走行するワイヤーパート工程で85%以上紙として形成され、プレス工程で搾水、ドライ工程で乾燥されて紙となる。
 「紙は文化のバロメーター」と言われ、生活文化にとって貴重なわりには、その重要性が認識されていないのが残念である。まして、紙が作られる方法についてご存じの方は稀れで、特に抄紙用網がはたす役割に関心を持たれる方はないと言えよう。
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 そこで、趣味である切手を利用して、「紙の製造方法」を以下の3枚のリーフにまとめた。
 3リーフの構成は、「紙づくりの始まり」で、紙の起源を探り、「製紙技術の伝播」で、中国において発明された紙の製造方法がどのように世界に伝えられていったかを見る。そして「現代の製紙技術」で、原料から紙製品までの製造工程が一目で分かるように心掛けた。
 初期の製造方法と抄紙機械での製造方法を対比みると、それぞれの工程で要求される機能が、全く同じであることが分かる。第1リーフと第3リーフを比較すると、分割されていた作業が連続大量生産方式に変わった様子を垣間見ることができるように組み立てた。
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# by god-door70 | 2006-07-05 10:51 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(1)

切手収集(夏のグリーティング切手)

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 2006.6.30 夏のグリーティング切手が2組発行されたので早速入手。「海と花」と「極楽鳥花」がテーマ。
 毎年グリーティング切手は結構人気があり、売り切れが早いという。事前に原画をデザインされたご本人からお手紙でご連絡をいただいていたこともあり、この切手には想い入れがある。10種のうち3種を、勤務していた会社の上司のお嬢さんがデザインしているからである。
 これまでにも、「九州・沖縄サミット記念切手」(2000.6.21)、「日本ユネスコ加盟50周年記念切手」(2001.7.21)、「第12回世界精神医療横浜大会記念切手」をデザインされている。
 今回手掛けられたのは、「海と花」(上)では真ん中の「ブーケ」、「極楽鳥花」(下)では左端の「カトレア」と真ん中の「オレンジ」がそれである。切手意匠だけでなく、幅広く活躍されており、出版された書籍も多数ある「新井苑子さん」は、花を描く有数なイラストレーターのお一人である。更なるご活躍を祈っている。
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# by god-door70 | 2006-06-30 21:40 | Comments(0)

倉本裕基の「ピアノ・コンサート2006夏」

b0089323_174366.jpg2006.6.22 倉本裕基の「ピアノ・コンサート2006夏」(めぐろパーシモンホール)で、「癒し系ピアノ演奏」を聴く。倉本の人気は韓国の若者たちから広がり、日本に逆輸入された。韓国の純愛ドラマに倉本の音楽が多く使われたことによるが、韓流ブームの影響が加わったことによる人気炸裂だ。
 昨年暮のサントリーホールではオーケストラとの共演であったが、今回は、フルートとチェロのみであった。今回も演奏だけでなく、ジョークの連発で楽しい演奏会を作り上げていた。聴衆者は、ほぼ80%があばさま達。韓国では、10代の女の子たちが大半とか。
今日は、午前中、囲碁同好会「碁楽会の自主トレ」、午後は「コントラクトブリッジ3回目の講座」、夜が「コンサート」でフル活動の一日だった。
# by god-door70 | 2006-06-22 17:04 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(3)

吹田文明展を観る

b0089323_22304995.jpg2006.6.21 「モナミ洋画会展」を訪れた後、世田谷美術館で開催中の「吹田文明展」を観る。「華麗なる木版画の世界」なるテーマ通り、宇宙空間のような無限の世界が広がっていた。木目の粗いラワンベニヤを版木にした版画、「カラ圧し」とかいう方法で凹凸を利用した版画など、独特な表現と言われるのに相応しい珍しい現代版画を観る機会を得た。ラワンベニヤを手に入れて試みてみたい衝動に駆られた。
 吹田文明さんは、1967年にサンパウロ・ビエンナーレで版画部門の最高賞を受賞、多摩美術大学教授として日本で初めて版画科を新設した版画家とのことであった。
# by god-door70 | 2006-06-21 22:29 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(1)

同僚のパステル画を観る

b0089323_2285118.jpg2006.6.21 勤務していた会社の同僚が、パステル画の作品を5点展示したので世田谷美術館に出向いた。西山松生画伯(日展会員・審査員)の指導の元で、個性ある絵を楽しく描く「モナミ洋画会」18回展とか。退職1年前からパステル画に取り組み5年目とのことだったが、なかなかの腕前とお見受けした。
 油絵、水彩画が大半である絵の世界でパステル画は珍しい。子供の頃からパステル絵の具による淡い色合いに魅せられていた由、絵を描くならパステル画と決めていたとか。探求する趣味を持ち、生き生きと退職後の生活を過ごされている方の顔は光って見える。
# by god-door70 | 2006-06-21 22:01 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(0)