切手に見る紙のお話(49)紙の歳時記(春【1-2】) 紙風船 風船爆弾

紙の歳時記(春【1-2】) 紙風船(風船爆弾)
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風船爆弾は、太平洋戦争において日本陸軍が開発した気球に爆弾を搭載した兵器である。和紙とコンニャク糊で作った気球に水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃しようとした兵器。気球の直径は約10m、総重量は200kg昭和19113日未明に3カ所の基地から同時に約9,300発が放たれ、アメリカ本土に到達したのは1,000発前後と推定されているそうだ。当時市場からコンニャク芋が消えたというエピソードが残されている。

b0089323_824662.jpg材質は楮製の和紙が使われ、接着剤には気密性が高く粘度が強いコンニャク糊が使用された。和紙を5層にしてコンニャク糊で貼り合わせ、乾燥させた後に、風船の表面に苛性ソーダ液を塗ってコンニャク糊を強化し、直径10mほどの和紙製の風船を作成した。

風船爆弾用の和紙(気球紙)を最初に開発したのは埼玉県比企郡小川町「小川和紙」で昭和8年頃とされている。小川和紙は、純楮紙で繊維が長く強靭であった。気球一基に対し気球紙は約600枚を要した。紙サイズは2種類で、大判は635分×22(193×67cm)、小判は22寸四方(約67×67cm)だった。大判(楮の繊維が縦方向)と小判(繊維が横方向)を網目状に組み合わせて貼合わせた。

9,300発の放球のうち、アメリカ本土に到達したのは1,000発前後と推定され、アメリカの記録では285発とされている。最も東に飛んだ記録としてミシガン州で2発が確認されている。

一條三子著「小川町の和紙と十五年戦争」に、材料として小川和紙が生産・納入された経緯が記されている。「コンニャク糊がしみこむようできるだけ薄く、しかもできるだけ丈夫な和紙を、との注文を受けたのは老舗紙問屋の小津商店であり、発注者は国産科学工業研究所であった。・・・・・・特別注文の和紙は、しばらくは久保、関口二軒の生産者から産地問屋の新井商店に納められ小津商店を経て国産科学に運び込まれた。ここでコンニャク糊で張り合わされ、気球に組み込まれ陸軍科学研究所に納入された。」と。


参考資料

Wikipedia 「風船爆弾」「小川和紙」

 紙の博物館「百万塔 №77」《一條三子著「小川町の和紙と十五年戦争」》
 山本和著「紙の歳時記」
切手情報
 左上*1972.9.1 埼玉県小川郵便局・風景印 「小川町の手漉き加工」
 左下*1989.11.17 第9回熱気球世界選手権記念
 右*2000.11.1 ふるさと切手・佐賀「佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ」

by god-door70 | 2016-05-14 10:50 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)
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