切手に見る紙のお話 (19) 紙 衣・紙布 (3)

紙 衣・紙布 (3)
 近年は、国内外の長期旅行に「紙衣」ならぬ使い捨て「紙のパンテー」を女性たちが愛用しているという。また、幼児や高齢者にとって紙製の下着は貴重な存在となっている。
b0089323_10482425.jpgb0089323_10485987.jpg 「紙衣」といえば、「秀吉の陣羽織」が思い出される。東京方面から国道1号線で静岡市街を通り抜け7、8キロ車を走り「宇都ノ谷トンネル」手前を右に折れて旧東海道に入ると、今もお互いに屋号で呼び合うという小さな宿場・宇都谷集落がある。確か平成年代にはいった頃に近くを通ったので立ち寄ったことがある。各家の表札に屋号が、「車屋」、「魚屋」、「清水屋」などと掲げられていた。その街道に「お羽織屋」さん(石川家)がある。当家に、文化財として「紙製の羽織」、まさに「紙衣」が保存されていた。
 この屋敷を守る初老のご婦人から「掛川の合戦に勝利した帰途に秀吉が当家に休息。その時に、主人の歓待と機智に富んだ受け答えに秀吉が感激し、お礼としてこの家に残していった羽織です」との説明があり、「大切なものなので、防火のため寒い冬でも暖房を入れられないのですよ」と笑っておられた。秀吉が天正18年(1590)小田原攻略の時で、家康初め各大名も拝観した紙子の道服だという。
 街道を行き交う旅人が秀吉の出世にあやかろうとして羽織に手を触れたため痛みが激しく、裾の部分は修理してある。紙衣は、三椏を原料とした手漉きの分厚い紙、見るからに腰のあう紙である。鼠色になってしまった古い部分と紙であることが分かる修理した白い部分が際立って比較でき面白い。派手好みの秀吉が着用したと想像できたのは、色あせた茶色に近い胸の部分。そこには真っ赤に染められた紙が用いられていたに違いない。近年深紅の絹地で補修されたようだが、確認はしていない。
 「奥の細道」にある紙衣で寒さや露を防いだというくだりがなかなか想像できなかったが、秀吉が着用したという頑丈な羽織の実物を観て紙の強さがうなずけた。b0089323_10494180.jpgb0089323_1115570.jpg
 (図右)奥の細道シリーズ・華厳の滝と句の書      第1集の② (1987年)
 (図左)奥の細道シリーズ・小型シート第1集の② (1989年)
by god-door70 | 2006-11-28 11:02 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)
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