高遠・木曽路の旅(1)

b0089323_17143088.jpg 2007.3.13-15 郷里である長野県伊那市高遠に、桜はまだ早いが高遠町歴史博物館・伊那市高遠支所・高遠町教育委員会などとの用件があり、久し振りに訪れた。
 「たかとほは山裾のまち古き町ゆきかう子らの美しきまち」(田山花袋)と詠われた高遠(たかとお)は、信州伊那谷のかたすみにあり、今なお歴史のかおりと、素朴な味わいを残している。ふだんは静かなこの町も、桜の季節になると、押し寄せる花見客でにぎわう。千五百本余のコヒガンザクラが、アルプスの残雪との対比で素晴らしく「天下第一の桜」と称されているほど名高い。
 信州高遠は、七百年来の歴史と伝統をもつ山裾の古き城下町で、内藤家三万三千石の所領として知られ、明治維新に至る間伊那谷における政治、教育、文化、経済の中心地として栄えてきた。
 大奥疑獄事件「絵島・生島事件」で、罰せられて高遠に流された絵島の座敷牢「絵島囲い屋敷」が歴史博物館脇にある。
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 内藤藩主の二代前の高遠藩主に、保科正之がいる。二代将軍徳川秀忠を父としたが、大奥に奉公へあがっていた娘との間にできた子のため、秀忠は正妻・於江与の方が怖くて公にできなかった。秀忠は、生前、ついにわが子正之とは親子対面をしなかった。三代将軍家光の治世に異母弟として兄弟の対面が行われた。家光の信任あつく、幕政への参与を命じられ、会津若松に入封、二十三万石・徳川一門の大名として重きをなした。江戸期の名君として知られている。(つづく)
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by god-door70 | 2007-03-19 21:05 | Comments(1)
Commented by tokutoujin at 2007-03-23 20:41 x
保科正之の話は、ブログに掲示されたあたりは知っているのですが、もっとそれにまつわる話を伺いたいものです。高遠藩のことも。
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