2007.5.23 白洲次郎が第2次世界大戦の当初より日本の敗戦を見通し鶴川の農家を購入して移住、正子夫人と日々を過ごした旧居宅「武相荘(ぶあいそう)」を訪れた。「無愛想」をもじって付けられたらしい。長屋門をくぐると、茅葺き屋根の家母屋。
昨今、憲法改正論議が盛んになっているが、戦後吉田茂に請われてGHQの折衝に携わり、日本国憲法の成立に深く関係した気骨ある人物として白洲次郎が話題となっている。夫人は、「韋駄天お正」の異名があるほどの行動派。陶器・能など広範囲の美を追求し執筆も多い。書斎の蔵書とあまりの素朴さと狭さにびっくり。さぞやと想像していたので。
正子夫人の著作の殆どを読まれてお詳しい奈良のK.I さんからお話を聞く機会があったので、関心を持って見学することが出来た。
2つの偶然。ひとつは、駐車場から「武相荘」に向かう道で勤務していた会社で十数年同じ部門でご一緒したYさんに遭遇したこと。近所にお住まいの由。7,8年振りだ。もう一つは、家内の姉上が娘さんと連れ立って見学に来ていて屋敷内で鉢合わせ。遠い町田市鶴川での偶然。悪いことは出来ないなあ?