「宮内庁三の丸尚慶館」

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 2006.9.7 皇居内にある 「宮内庁三の丸尚慶館」 で、伊藤若冲の 「動植綵絵」 が一般公開されていると聞き、立ち寄った。30幅のうちの一部6幅が展示されていた。「紅葉小禽図」(左)、「薔薇小禽図」、「芙蓉小禽図」 に目を奪われた。
 宮内庁三の丸尚慶館は、はじめて。宮内庁所蔵の名品を時折展示するようだ。都心にでたら、今後も立ち寄ってみたいものだ。
 昨日9月6日、天皇家に待望の男の子が誕生した。これで皇室典範改正の機運がしばらく遠のくだろう。
# by god-door70 | 2006-09-07 20:43 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(2)

「丸山英雄 切り絵展」

 2006.9.7 小津和紙博物館小津ギャラリーで開催されている 「丸山英雄 切り絵展」 を観る。テーマは、「京都の町並み・京美人」。
 最近、いささか 「切り絵」 に興味を持ち始めているので出向く。b0089323_1011061.jpg
 関西に独身時代5年ほど勤務していたので、京都町並みの作品を懐かしい想いで観た。左の作品は、京都・一力茶屋を描いた切り絵。壁の色合いがうまくでているように感じる。
 「この色を出すのに苦心した」と、会場におられた作者は、苦心談や独自の制作方法などを熱く語っていた。
# by god-door70 | 2006-09-07 19:00 | 切り絵(作品展、教室関連) | Comments(0)

西洋美術史講座「バロック絵画」

b0089323_10262951.jpg 2006.9.6 西洋美術史講座「バロック絵画」2回目、《ルーベンスの作品を読み解く》を聴く。
 ルーベンス(左、自画像)は、第一に画家であったが、学者でもあり、絵画や古代彫刻の熱心なコレクターでもあったようだ。作品数が多いのは、工房システムで注文を受けていたことにある。従って、総て彼の手によるもの、指示した構想を工房が描き筆をいれたもの、指示した構想を工房が完成させたものの3種類が存在するらしい。ルーベンスは、大工房の経営者ということになるのだろうか。いずれにしても、17世紀バロック絵画を代表する巨匠と、講師は位置づけていた。

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 スライドで作品を見ながら、バロック芸術の特徴であるダイナミックさ、安定感、全体の調和という観点からルーベンス作品の解説を受けた。大祭壇画「キリストの昇架」(上、左図)、「キリストの降架」(上、下図)、「最後の審判」(下、左図)、「レウキッポスの娘の強奪」(下、中央)、連作「マリー・ド・メディシスの生涯」、妻や家族を描く「自画像」「毛皮をまとうエレーヌ・フールマン」(下、右図)など。b0089323_10541557.jpgb0089323_10573091.jpgb0089323_1105611.jpg
 53歳、ルーベンスは織物商の娘エレーヌ・フールマンと再婚、3人の子供をもうけたという。絵もエネルギシュであるが、人生もエネルギッシュに生き抜いたということになる。うらやましい限りである。
# by god-door70 | 2006-09-06 21:25 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(0)

「浅井忠と関西美術院展」

b0089323_22485149.jpg 2006.9.5 府中市美術館で開催されている「浅井忠と関西美術院展」を観る。
 《京都に咲いた洋画の「花」》なる副題の企画展。京都国立、京都府、京都市、京都工芸繊維大学、大阪市などの美術館・資料館が所蔵している油彩画を中心として約200点(内50点くらいが水彩画)が集められていた。
 浅井忠がパリ郊外のグレー村を描いた水彩画を観るのが主目的だったが、京都風景と合わせて水彩画は5点と少く残念だった。しかし、梅原龍三郎(下:三十三間堂)、安井曽太郎などの珍しい水彩画も観ることができたことと、あまり東京ではみられない京都洋画壇の絵画を観る機会を得られたので満足した。
 解説によると、関西美術院は、明治39年(100年前)に開設された関西最大の洋画学校で、現存する最古の洋画学校。初代の院長が、浅井忠で、日本近代洋画の逸材を多数輩出したとのこと。
 府中市美術館は時折、面白い企画展を催すのでこれまでも数回訪れているが、来場者で混雑することなく、何時もゆっくりと鑑賞できるので嬉しい。
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# by god-door70 | 2006-09-05 20:26 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(0)

大江戸華舞2006(OEDO DANCE)

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2006.9.2 「万華鏡展」を観た後、新宿にまわって「大江戸華舞2006」を見物。
 東京都庁前の都民広場と都庁通りが会場で、小、中、高校生ら4,000人が参加し踊りを通して仲間同士の友情や親子の絆、地域の和を深め、人づくり、まちづくりの輪を広げようというのが開催目的だとか。無心に踊る我が子を写そう親御さんの列が続く踊り舞うパレード。強い日差しのなかでの若さいっぱいの大江戸華舞、うらやましい光景。b0089323_17462288.jpgb0089323_17455480.jpg
 大江戸華舞のメイン会場である都庁前の都民広場で、偶然にも佐藤忠良作のブロンズ像「早蕨」 (1980年) に出くわし感激した。
 都庁などの高層建物に囲まれながら立つ女性像をしばし眺めた。
 以前にも書いたが、佐藤忠良さんは、わたしの大好きな彫刻家のひとりだ。
# by god-door70 | 2006-09-05 18:16 | Comments(2)

「万華鏡展―光で綴るものがたり」

b0089323_21355336.jpg   2006.9.2 渋谷文化村ギャラリーで開かれていた「万華鏡展―光で綴るものがたり」を観る。
 大小さまざまな約500点を集めた万華鏡の世界。特種な作品以外殆ど手に取って覗くことができるので結構楽しめた。
 万華鏡は、1816年イギリスの物理学者ブルースター(1781-1868)が発明したという。日本には江戸末期に渡来した。明治期に入って、はじめは「百色眼鏡」の名で人気ある品となり、改良されながら「ばんかきょう」とか「錦めがね」などといわれ、国産品がつくられるようになって普及したとのこと。
 最近、とみに話す言葉が少なくなってしまった今年98歳になる母親が、万華鏡を覗いて「きれいね」と言いながら微笑む顔を思い出しながら、大型万華鏡やアクセサリータイプ万華鏡などを観たり、覗いたりした。
# by god-door70 | 2006-09-02 18:00 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(0)

西洋美術史「バロック絵画」

 2006.8.30 西洋美術史講座「バロック絵画」初日に参加。講師は、元NHKデレクター斉藤陽一氏。既に数回斉藤氏の講座を拝聴しているが、エピソードを取り混ぜながらの絵画の読み解き。b0089323_1238452.jpg
 今回1回目の講座は、バロック絵画の先駆者といわれる「カラヴァッジオ」。39歳で謎の死をとげた放蕩無頼の人物だが、レンブラントをはじめ当時の画家たちに大きな影響を与えた画家という。b0089323_12515067.jpg
 初期の作品「果物かごを持つ少年」(右)など、少年愛の美学作品「リュートを引く若者」(左)など、最初の女性像「悔悛のマグダラのマリア」(下左)、教会から受け取りを拒否された「聖母の死」(下中央)など宗教画の数々を解説。カラヴァッジオの首斬り幻想からの作品群(下右)は観るのには少々苦痛が伴った。b0089323_12552664.jpg
 バロック芸術は、①激しくダイナミックな構図 ②鮮明な色彩、強い明確な対比 ③厳しい写実が、特色 とのこと。ルネサンス芸術の特色である①均衡と安定感の構図 ②上品で落ち着いた色彩 ということだとすると、正にカラヴァッジオはその代表選手になるのだろう。
 約35点の映像によって解説を受けたわけだか、少々ハードな題材の多いカラヴァッジオ絵画鑑賞はいささか疲れる。
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# by god-door70 | 2006-08-30 20:29 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(0)

杉並高円寺・東京阿波おどり

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 2006.8.27 話には聞いていたが高円寺で毎年開かれる東京阿波踊りを初めて見物。町の広範囲数箇所が会場になっているようだが、東京メトロ新高円寺商店街付近で観た。巾の狭い商店通りを踊り進み、見物人とごった返しながらの阿波踊り。それがかえって親しみを感じさせる。夏の風物詩のひとつだ。

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# by god-door70 | 2006-08-27 20:40 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(12) 紙のつくり方(3/終)

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 紙のつくり方(3/終)
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<紙の層をつくる→脱水→乾燥>
 抄紙工程の抄紙機は、紙層形成と脱水をするワイヤーパート、搾水するプレスパート、乾燥するドライパートに分けられます。
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  完成紙料を水99.5%、繊維分など5%の薄い懸濁液とし、長網抄紙機ではエンドレスになっているワイヤー上に均一に流しシート(湿紙)を形成させます。円網抄紙機では紙料槽の中で金網を張ったロールを回転して紙料を吸いつけてシートを形成させます。紙料流出量、機械スピード、ワイヤー品種選定によってほぼ90%紙の品質が決まります。機械抄きではワイヤーが用いられ、手抄きでは簀が用いられますが、原理的には同じです。
 プレスパートではワイヤー上で形成された湿紙をフエルトとともにロールでプレスして脱水します。手抄きでは抄き上がった紙を重ねることによって水分を取ります。
 ドライパートでは数十本の加熱された回転円筒表面に湿紙をカンバスで圧着しながら表と裏を交互にあてて、乾燥させます。このパートで湿紙は水分6ー8%になり、ここで初めて「紙」と呼べる状態となります。最後に紙はリールで巻き取られ、規格の大きさに裁断されます。
 手抄きでは一枚一枚を天日または火熱で乾かします。この様に、手抄き、機械抄き共に製法原理としては全く同じですが、手抄き和紙はその持つ風合いが好まれ現代でも人気は衰えていません。
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 (上段左) 手抄きの製造工程「紙を漉く」(台湾・1994年)
 (上段中) 手抄きの製造工程「水分をとる」(台湾・1994年)
 (上段中) 手抄きの製造工程「乾かす」(台湾・1994年)
 (上段右) スエーデン最古の製紙工場(スエーデン・1990年)
 (下段左) 機械抄き工程「脱水」(パキスタン・1990年)
 (下段中) 機械抄き工程「巻取り」(カナダ・1956年) 
 (下段右) 機械抄き工程「製品」(フィンランド・1968年)
# by god-door70 | 2006-08-26 20:15 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

西永福駅前盆踊り

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 2006.8.26 京王井の頭線西永福駅を降りたら、駅前で盆踊りが開かれていた。夏休み最後の土曜日、子供たちが櫓の上の踊り手を見上げながらの盆踊り。暑さも峠を越したのかな。ちらほらコスモスが咲き始めた。
# by god-door70 | 2006-08-26 16:04 | Comments(0)

玄侑宗久氏の講話「塞翁が馬に乗る」

 2006.8.24 臨済宗妙心寺派福聚寺副住職・作家 玄侑宗久氏の講話「塞翁が馬に乗る」を聴講。b0089323_11505431.jpg
 中国故事「人間万事塞翁が馬」を題材に、「その時には幸か不幸は分からない。後になって全く違った評価(結果)が分かるのだから、その時その時で一喜一憂することない」と説く。「決めないことも一つの解決策」だという。聞いていて、中国・鄧小平主席が生前、日本との領有権問題解決策で同じようなことを主張していたことを思い出したが、スピードも時には必要だけど。特に、経済社会・会社経営では。
 作家であり中国研究家らしい面白い話も。コオロギを一箇所に沢山集めると同じ鳴き方に、メスの二十日鼠の生理は殆ど同じ時期になる。アメリカでの女学生40人クラスデータでは70%が。同調は、一種の安全指向とか。
 始皇帝陵兵馬俑坑で埋葬されている士卒や軍馬などを人や馬の身代わりと説明されているb0089323_1658188.jpgのは間違いで、もともと陪葬はこの形であったとのこと。初めて聞くお話。兵馬俑坑といえば、思い出すのが見学中に起こった人種差別。兵馬俑坑は撮影禁止(現在はOK?)となっていたのに日本人が撮影したのが原因だが、とがめられフイルム没収、罰金を支払された。しかし、その近くで白人が同じことをしていたのに、声をかけはしたが無罪放免を目撃。これなども徹底した反日教育によるものなのだろうか。
 福聚寺では檀家を増やさない方策として2年間講話受講無欠席を条件としているのでせいぜい年2、3家。檀家とのコミュニケーション重視が目的。対話2、3分で終わってしまうお医者さんに聞かせたいものだ。
# by god-door70 | 2006-08-24 11:42 | 講演会・映画 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(11) 紙のつくり方(2)

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 紙のつくり方(2)
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<抄紙機の進歩―“手抄き”から“機械抄き”へ>
 紙のつくり方には、「手抄き」と「機械抄き」の2つの製法がある。b0089323_15375892.jpg
 18世紀まではもっぱら手抄きによっていたが、1798年フランスの紙職人ローベルがエンドレスの抄き網(機械抄きではワイヤーと呼ばれているので以下ワイヤーとする)で、連続的に抄紙できる長網抄紙機について特許を取得、1804年にイギリスのフォードニリアー兄弟がこれを実用化し、紙の大量生産が可能にした。 1808年には主として厚紙、板紙を抄くのに使われる円網抄紙機をイギリスのディッキンソンが発明している。
 そして1892年には、イギリスのワトソン社で「ツインワイヤーマシン」が初めて稼働した。この抄紙機は、ワイヤー上に噴射された紙料を接触して走行する2枚のワイヤーで挟み、両面から脱水させて紙層を形成させるタイプである。製造原理的には長網抄紙機と同じだが、高速抄紙に適し、紙の品質も長網式より優れている。現在世界的に主流の抄紙機となおり、日本の新聞用紙はすべてこのタイプの抄紙機で生産されている。
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 (上図) 中国古代4大発明の一つである手抄き造紙術(中国・1962年)
 (下図) 長網抄紙機の場合の製造工程(ノルウェー・1986年)
# by god-door70 | 2006-08-21 15:52 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

「杉並区立郷土博物館」

b0089323_2351125.jpg 2006.8.18 西洋美術史講座の帰途「杉並区立郷土博物館」に立ち寄った。b0089323_2323039.jpg 
 館の正門として、「名主旧井口家住宅長屋門」(区指定文化財)が移築されているのが面白い。展示館の裏手に出て、薪を背負って書を読む二宮金次郎像(尊徳の少年時代)を左手にみて進むと、区指定文化財の古民家「旧篠崎家住宅主屋」がある。建物の裏手に「杉並・荻窪」の名称ともなった「おぎ」の葉が茂っていた。建築年代は、長屋門が江戸時代文化・文政年間(1804-1829)頃、住宅主屋は、寛政年間(1789-1800)頃とのこと。
 博物館館は、嵯峨公勝侯爵邸宅跡地に建てられている。公爵の孫娘が、愛新覚羅溥傑(ラストエンペラー・満州国皇帝溥儀の弟)にこの地から嫁いだとの解説があった。しかし、ゆかりの物は「庭石」と「白雲木」のみであった。b0089323_2365311.jpg
 「金次郎像」をみて、尋常小学唱歌の「芝刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け、弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」を歌ったことが想いだされる。通っていた小学校の校庭にあった銅像は、天皇陛下の写真をかざった建物の横にあったので、毎朝礼で天皇陛下の肖像を校長の号令で拝んだ(拝まされた?)ことを連想してしまった。戦時中に金属供出で多くの銅像が石造になったと聞いたことがあるが、郷土館の金次郎像も石造であった。親、兄弟を簡単に殺してしまう事件が毎日のように報道される昨今を憂い、教育基本法改正議論も大切だが、金次郎の唱歌も捨てたものでもないと一人つぶやく。b0089323_2322553.jpg
 特別展では「杉並のお風呂屋さん」が開催されていた。都内には大型銭湯が出現し、露天ぶろ・温泉ブームだが、杉並区内の銭湯は、現在40軒で最盛期の昭和40年代の3分の1となっているそうだ。銭湯に通ったのは戦後数年間(昭和20~23年頃)だから45年位前ということになる。壁に「富士山」が描かれていたなぁ。今の風呂屋さんも、定番絵だった「富士山」が描かれているのだろうか。
# by god-door70 | 2006-08-18 22:42 | 文化財・庭園(temple,park) | Comments(0)

切手に見る紙のお話(10) 紙のつくり方(1)

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 紙のつくり方(1)
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 第1次オイルショックの時に、トイレットパーパーが店頭から消えたことがある。店にご婦人方が行列をつくり、争って買い求めた。今は、スーパーの目玉商品となったり、街角で宣伝用にティッシュが無造作に配られ、それを受け取らない人が多い状況だ。
 情報の電子化でペーパーレスが進んでいるとはいえ、紙は依然として切手は勿論のこと、紙幣、新聞、書籍、筆記用紙、事務機器用紙、写真、ダンボール箱などなど生活に欠かせない物資であるのに、その重要性を認識している人は少ない。
 「紙は文化のバロメーター」と言われているが、どのようにして紙が造られているかを知る人は更に少ないのではないだろう。紙の製造工程を描く切手を見ながら紙のつくり方―伝統的“手抄き”と”機械抄き”―をお話しましょう。

<原料から“紙料”へ>
 紙の原料は、木材か、非木材の植物繊維が使われる。木材の場合は、広葉樹ではカバやブナ、針葉樹ではアカマツ、ツガなどが使われ、非木材ではワラ、バガス、竹、麻などである。
 紙をつくる工程は、植物繊維を水の中でたたいて膨張させ、もみほぐし、しなやかすることから始まる。b0089323_15565369.jpgb0089323_1558067.jpg
 これは中国で後漢(西暦25~220年)の時代に、紙を書写材料に適するように改良した“紙祖:蔡倫(?~121年)”(右:図1、図2)の時代も同じで、ボロ布をうすの中でたたいて繊維をもみほぐしたといわれている。
 次の工程で、現在では紙の用途に応じてさまざまな添加物が加えられる。紙の不透明性、白色度、印刷適性の向上を目的に填料や染料、紙力増強剤等が混合・撹拌されて、“完成紙料”となり、紙を抄く工程に送られる。(下右から:図3、図4、図5)
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 なお、紙づくりは、中国古代4大発明(造紙術、羅針盤、印刷術、火薬)のうちの一つである。
 
 (図1)紙を書写材料に適するように改良した”紙祖” 蔡倫(中国・1962年)
 (図2) ”紙祖” 蔡倫と手抄きの製造工程(香港・2005)
 (図3)手抄きの製造工程「原料を切る」(台湾・1994年)
 (図4)手抄きの製造工程「煮る」(台湾・1994年)
 (図5)原質工程(サルファイドパルプ・ダイジェスター)(スウェーデン・1974年)
# by god-door70 | 2006-08-17 16:44 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

アメリカ映画「美しい人」

 2006.8.15 「エミール・ガレとドーム兄弟」ガラス工芸展のために渋谷に出たので、アメリカb0089323_14544.jpg映画「美しい人」(9 lives)を観た。
 「①娘に愛をそそぐ人、②いま手にしている愛を見出す人、③愛をぶつける人、④お互いの弱さを知る人、⑤かけがいのない人、⑥愛を求められる人、⑦家族があることの喜びを知る人、⑧夫の愛の深さを知る人、⑨神の祝福を受ける人」を9人の女優たちが演じる女性の生き様をめぐる物語。オムニバス映画なので、嫌悪感をもったり、同情したり、感心したりで観ている方も忙しいが、最後の物語でやっと落ち着いた気分。それぞれのケースが複合してめぐりめぐってくる人生が現実なのかな。マイ好感度:中の上。
# by god-door70 | 2006-08-15 20:02 | 講演会・映画 | Comments(2)

「エミール・ガレとドーム兄弟」ガラス工芸展展

b0089323_10512123.jpg 2006.8.15 渋谷ザ・ミュージアムで、エルミタージュ美術館秘蔵のガラス工芸品が展示されていたので、「エミール・ガレとドーム兄弟―フランスからロシア皇帝への贈物」展に出向いた。
 これまで、「北澤美術館」(諏訪)や「サンクリノ美術館」(熱海)などで、ガレの作品に沢山出会っているが、今回は門外不出というガレの傑作《花器(トケイソウ)》を観ることができた。この傑作は、フランス大統領がサンクトペテルブルクを訪れた際に、皇族一族に贈物として持参した作品とのこと。台座の赤色は、キリスト処刑の血を表しているとか、「ではなぜトケイソウが」となると、絵画と同じく作品にこめられた製作者の想いを読み取ることは難しい。パンフレット左に花器の一部が刷られている。ガラス工芸品のほかに、寄木細工のテーブル《ロレーヌの植物》や豪華装丁本《黄金の書》など珍しい展示品もあった。
 静かな雰囲気の中で鑑賞できたが、ガラス工芸品の常設美術館と違って作品の素晴らしさを引き出すための照明効果への配慮が貧弱で残念だった。
# by god-door70 | 2006-08-15 18:49 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(1)

切手に見る紙のお話(9)ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(3/終)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(3/終)
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<天才学者・シャンポリオン>
 フランス人学者ジャン・フランソワ・シャンポリオン(1790-1832)が、未解読文字の存在を知ったのは、数学者フーリエのサロンで碑文を見せられた折で、その時彼は11歳であった。17歳までに13カ国語をマスター、18歳でグルノーブル大学の教授という並外れた才能の持ち主であった。 天才と称しても過言のないシャンポリアンをしても碑文の解読は難解で、多数の学者たちとしのぎを削って競争した。
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<ヒエログリフ解読に成功>
 ヒエログリフ解読の最大のライバルはトーマス・ヤング(1773-1829)であった。彼は、古代エジプト文字研究に業績をあげたイギリスの自然科学者で、碑文の一部特に固有名詞の解読に成功した解読者の一人だ。両者の間は険悪で、解読の考え方や成果に関して誹謗や中傷合戦を繰り返していた。>b0089323_16184244.jpg
 最終的には1822年、シャンポリオンが、32歳の時に碑文すべてを解読することに成功し、後年「エジプト学の父」と称されることとなる。ロゼエタストーンの発見か23年の歳月が流れていた。
 彼の功績は、「ヒエログリフが表意文字であり、かつ表音文字でもあったことを解明し、またヒエログリフのアルファベットを発見したこと」である。
 解読に成功した日から5日間、彼は眠り続けたと伝えられているが、その集中力と情熱には驚かされる。病弱な体質と貧困と戦いながら短い人生を駆け抜けたシャンポリオンは、パリ市の東にあるペールラシェーズ墓地に眠っている。右映像は、シャンポリオンの墓碑。

 切手
 (左) 「神聖文字解読150年」シャンポリオンと碑文(フランス・1972)
 (中央)「神聖文字解読150年」シャンポリオンと碑文(エジプト・1972)
 (右) 「「シャンポリオン生誕200年」肖像と碑文(モナコ・1990)
# by god-door70 | 2006-08-10 16:03 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

小津和紙博物舗「小津史料館」

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b0089323_224197.jpg 2006.8.8 小津和紙博物舗「小津史料館」を見学。
 当館は、承応2年(1653)江戸大伝馬町に紙問屋を開業して以来350年の歴史を誇る「紙と小津」の和紙史資料館。重要無形文化財・人間国宝の岩野市兵衛、谷野剛惟、濱田幸雄が漉いた和紙や中央区登録文化財古文書など和紙関係の品々が展示されていた。階下の和紙専門店舗では、数万点に及ぶだろう商品が扱われていたのには、しばらく眼が奪われた。
 右は、休憩室にあった紙製ウエディングドレス、所謂「紙衣」。
 原料から和紙漉きの工程を実演するコーナーがあり、半紙サイズの手漉き和紙を作る体験もできるとのこと。
# by god-door70 | 2006-08-08 22:03 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(8) ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(2)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(2)
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<ロゼッタストーンの文字>
 ロゼッタストーンの黒く輝く岩肌には上段、中段、下段の3層に分かれて異なる文字が刻まれていた。上から「ヒエログリフ(神聖文字・聖刻文字)」「デモテイック(民衆文字)」「ギリシャ文字」である。(左図)
b0089323_2321765.jpg ギリシャ文字は当時支配階級で使用されていた言葉で、石碑発見後、時を待たず解読され、その内容は紀元前196年のエジプト王プトレマイオス5世エビファネス(紀元前210年-180年)の戴冠記念式の知らせに関するものであった。b0089323_2352219.jpg
 一方、「ヒエログリフ」は、ラテン語の「ヒエロ」(神聖な)と「グリフ」(刻み込む)から成る。紀元前
3100年頃から3000年余にわたり使用され、その後死語となっていた。また「デモテイック」は、エジプト民衆の言葉(デモ)の言葉で、ヒエログリフを簡単に崩した文字である。
 ヒエログリフとデモテイックは、ギリシャ文字と同じ内容を表していることが分かったものの、解読されたのは、発見から23年後の
1822年であった。

 (切手)ロゼッタストーンが3種類の文字になぞらえて、石の形が赤・青・緑に色分けされている。国際識字年を記念して発行された。(日本・1990)
# by god-door70 | 2006-08-08 10:29 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

「阿佐ヶ谷七夕まつり」前日風景

 2006.8.4 美術講座受講の後、バス乗換えのために阿佐ヶ谷で降りたので、明日から開催される「阿佐ヶ谷七夕まつり」商店街を久し振りに歩いてみた。祭り前日なので、既に七夕飾りが完成しているのか分からないが、人の賑わいがまるで違うことは想像できる。きっと多くの人たちが七夕まつりを楽しむことだろう。下の映像は、まつり前日のもの。
《まつり開催で賑わう風景は、tokutoujinさん のブログへ》
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 私の学生時代には、青梅街道から駅までのバス通りはまだなく、この商店街を通って阿佐ヶ谷駅から中央線に乗り、国立まで朝な夕なに通った6年間が想いだされる。
 学校帰りに、買い食い禁止だったが暑さに負けてアイスキャンデーを舐めながら帰った道。雨が降ると、母親が傘を持って迎えに来てくれた道でもある。その母は、今年6月に
98歳になった。時は、お構いなしに過ぎて行く。
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# by god-door70 | 2006-08-04 23:36 | Comments(0)

切手に見る紙のお話(7) ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(1)

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ロゼッタストーンと神聖文字解読者シャンポリオン(1)
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<ロゼッタストーンの発見>
 1798年7月、フランス軍総司令官ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は、数万の精鋭を率いてエジプト侵略を開始し、イギリスの海外政略に対抗するためナイル河西部デルタ地区のロゼッタ村に要塞を築いた。b0089323_1732426.jpg
 1799年8月、その工事現場から石碑の一部が兵士たちによって掘り出された。(右・図1)発見地の村名から「ロゼッタストーン」と命名され、古代エジプト史最大の発見となった。
ナポレオンのエジプト遠征には軍事上の成果はなかったが、この遠征に参加した学術調査団を構成する学者により収集された膨大な資料と情報はエジプト歴史研究の礎となった。
<ロゼッタストーンの形状と保管>
 石は黒色の花崗岩(御影石とも呼ばれる)で、高さ114cm、幅72cm、奥行き28cm、重さ762kg。(左・図2)b0089323_17323360.jpg
 ロゼッタストーンは、フランス軍が地中海会戦でイギリス軍に敗れたためイギリスの戦利品となった。1802年以降はロンドンの大英博物館で保管され目玉展示物の一つとなっている。博物館を訪れた際には、ガラスケースに入った石は古代エジプト文字の解説パネルと共に展示され、沢山の人が回りを囲んで見学していた。
 石が発見されると同時に碑文のインクによる拓本が作られ、エジプトからヨーロッパに伝わった。イギリスに持ち去られた後、学術研究用に石膏模型や図版が作成され、19世紀初めには、ヨーロッパ中の古代エジプト文字解読に関心のある学者たちによって解読競争が始まった。

 (図1)ナポレオンのエジプト遠征。要塞工事に携わる兵士たちと学術調査団(フランス・
1972)
 (図2)ロゼッタスト-ンの形状を描く。発見200年記念(エジプト・1999)
# by god-door70 | 2006-08-03 17:44 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

上野公園付近散策

 2006.8.2 若冲絵画展鑑賞の後、上野公園付近の建造物などの写真を撮りながら散策。不忍池のハスは、訪れたのが昼真っ盛り時刻のためか花弁を閉じ、朝を待っている風情。明朝は、ポンポン音をたてて競って咲くのだろう。
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 若冲絵画展は国立博物館本館(下左)の左奥にある平成館で開催。上野東照宮拝殿(1651年建立)(下右)は、唐門と共に国宝であるが、公園の賑わいを忘れたように参拝者は3組の外人だけだった。損傷が目立つが、逆に重厚さを感じる。
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 公園内には、銅像や記念碑などが点在しているが、こちらも隠れてしまった存在になっているようだ。野口英夫像、正岡子規野球場記念碑、小松宮彰仁親王碑を撮る。
 野球場脇に子規の句「春風や まりを投げたき 草っ原」が刻まれていた。なぜここに?公園空き地で明治23年に子規が野球に興じたのを記念してとのこと。親王は、伏見宮家8代目王子で鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争に参戦。明治20年日本赤十字社総裁となり、社事業発展に貢献した人物のようだが、なぜここには判然としない。最後の映像は、東照宮拝殿横に建立時に植えられという350年以上の「梓の木」の花と実。この名に相当するのは、中国原産「キササゲ」(ノウゼンカズラ科)の落葉高木。
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# by god-door70 | 2006-08-02 21:54 | Comments(4)

プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」

 2006.8.2 東京国立博物館で開催中の《プライスコレクション「若冲と江戸絵画展」》を観る。プライス氏は、江戸時代の個性的な画家たちの作品に目を奪われて収集を始めたとのこと。伊藤若冲(1716-1800)のほか、円山応挙、永沢芦雪、酒井抱一などの作品も展示されていた。
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 「日本美術を鑑賞する際、光の果たす役割は非常に重要である」との氏の持論から、展示照明を変化させて絵の表情がさまざまに変わることが実感できる展示方法(光と絵画の表情コーナー)が一部とられていた。「なるほどなるほど」と感じ入る。
 「氏の絵の見方は、遠くから観た後に、近づいて作者名を見る」とのガイド説明。確かに、画家名を見てから絵を鑑賞することはある。そのために著名な画家になると総ての作品が良く見えてしまうことがあるが、きっと愚作もあるのだろう。絵画鑑賞法への一つの警鐘か? 
 興味を持った伊藤若冲2作品「鳥獣花木図屏風」(上)と「猛虎図」(右)。前者は、その数万単位にもなるコア(網目)一つ一つに色付けられて全体図になっている。近づくとくっきりと網目が見える。上の映像でも象の部分に線が見えている。後者は、虎の毛一本一本が線状に描かれ毛のふわっとした感じが伝わる。その繊細な描き方に驚き、脱帽。
 プライス家の浴室タイルに「鳥獣花木図屏風」と同じ絵が描かれていて、象の鼻のところに「水道の蛇口」が取り付けられているとか。思わず笑ってしまった。「水道の蛇口」でなく「水道の鼻先口(?)」だ。氏の若冲への入れ込みが相当のものだと推察できる。
 江戸絵画約100点の作品を楽しんだ一日。
# by god-door70 | 2006-08-02 20:25 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(3)

「府中市いこいの村」の「大賀ハス」

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 2006.8.1 国立駅舎写真撮りの帰途に、「府中市いこいの村」に回り「大賀ハス」を見る。
 大賀ハス(蓮)は、昭和26年、千葉市検見川遺跡で、ハス博士といわれた「大賀一郎」東京大学農学部教授(下)が、約2000年前に咲いていた古代ハスの種3粒を発見し、そのうちの一粒の開花に成功したものだという。b0089323_1843728.jpgハスは博士の姓を採って「大賀ハス」と名づけられ、日本国内はもとより世界各地に分植されている。b0089323_18441061.jpg
 発祥の地・千葉市が「市の花」(右・図)と指定しているのに、なぜ府中の地に大賀博士の記念碑?。碑に刻まれた「蓮博士大賀一郎先生は戦災にあい、昭和20年6月1日府中に移り住み、83歳で亡くなるまでの20年間を当地で過ごされました。初めは食料事情が特に悪い頃でしたが近隣みなさまの温情に包まれ、やがて大賀会や蓮の会が誕生し、なお市民各位の個人的な支援の手ものべられてまいりました。その間、先生は二千年蓮の発芽、当麻寺に伝わる曼荼羅の研究と多くの成果を遺されました。そして二千年蓮は今なお日本各地に花を咲かせています。先生のお仕事を讃ええると共に府中の人々とのふれあいを記念してこれを建てます」を読み、疑問が解けた。

 (図)ふるさと切手千葉版「大賀ハス」(1999.7.16)
# by god-door70 | 2006-08-01 18:36 | 何でもみよう,やってみよう | Comments(0)

取り壊し計画のある「中央線JR国立駅舎」

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b0089323_1613136.jpg 2006.8.1 中央線JR国立駅舎の取り壊しが計画されているとの新聞報道を読んで、6年間通学した懐かしい駅舎を記録に残しておこうと出掛けた。
 当時の駅前はロータリーだけで店もまばらで閑散としていたが、その変わり様には驚かされる。とは言っても、授業に遅刻しそうで駅の改札を走り抜けた50年前の話だが・・。
 国立駅は大正15年の竣工。大正12年の原宿駅舎に次ぐ、現存する2番目に古い木造駅舎で、三角屋根の個性的なデザインは、その後、多くの駅のデザインの手本となったそうだ。建物の構造の一部に、八幡製鉄所(現新日鉄)をはじめ、イギリスドイツ、ベルギーなどでつくられた古レールが使われていて、当時の鉄道建築方式の貴重な史料となっていることもあり、駅舎保存運動が起こっている。高層マンション高さ制限訴訟で知られる国立市だが、駅舎保存問題も開発行為との戦いとなっている。
 いずれにしても、古い貴重な建物が壊されていくのは残念なことだ。
# by god-door70 | 2006-07-31 16:07 | Comments(5)

切手に見る紙のお話(6) 紙がない時代の書写材料(5-終)

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紙がない時代の書写材料(5-終)
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[その他の書写材料]
 東アジアでは、竹は大切に育てられた植物のひとつである。これを割れば細い短冊状の板(竹簡)(左・図1)となり、幅は細いが1行程度の字を書くことが可能である。ひもを通して綴じれば1冊の手帳ができるので、書写材料として用いられることとなった。b0089323_21531754.jpg
 木製のものは木簡と呼ばれた。木簡は板の表面を平らに削れば簡単に作れ,竹の少ない地方で重宝がられた書写材料であった。しかし、竹簡・木簡は1枚に書ける行数が少なく、重く嵩張る欠点があった。そこで、紙以前の書写材料としては最良とされたのが絹である。絵や図を描ける幅広があり、にじみが少なく、細字も書くことができた。ただ、高価であることが最大の欠点で、一般民衆には広く普及しなかった。b0089323_2155754.jpg
 そのほか、インド、セイロン、ビルマなどではヤシ科のシュロの葉(右・図2)、タイではタリポットヤシの葉、メキシコではイチジクの木の樹皮というように木の葉や樹皮が書写材料として使われたところも多かった。
 ニュジーランドでこの国最高峰クック山の氷河を見に行った時に、ガイドが登山途中で裏が白い葉を取って、「先住民であるマリオ族が紙の代わりに使っていた葉」と説明していた。樹の名前をたずねたら、翌朝「Senecio rufiglanndulous var rufiglomdlous」なるメモをくれたが、不勉強でまだ調べていない。学名なのかチンプンカンプン。どなたか教えて!

(図1) 竹簡(中国・1996年)
(図2) ヤシ科のシュロの葉(ラオス・2003年)
# by god-door70 | 2006-07-30 22:04 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)

久保修「紙のジャポニスム」展を観る

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 2006.7.30 新宿伊勢丹アートギャラリーで開かれている個展【久保修「紙のジャポニスム」】を観て、「切り絵」の世界を楽しんだ。
 一枚の紙に枠を残しながら仕上げる切り絵でも平面的に見えたり、描いたものが飛び出してくるようにも感じたりする。花と風景を題材にした切り絵のほかに、道具の実物展示もあり興味深かった。
b0089323_192467.jpg 展示品のなかに、氏がデザインした切手「ふるさと切手東京版・隅田川花火」(右)と「同じく東京版・朝顔」(1999.7.1)や年賀葉書(2005・出初式/2006・獅子舞)があった。
 全く知らなかったので、偶然の発見に驚いた。何でも機会を持てば、何かにぶつかる。
# by god-door70 | 2006-07-30 18:59 | 切り絵(作品展、教室関連) | Comments(0)

切手に見る紙のお話(5) 紙がない時代の書写材料(4)

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紙がない時代の書写材料(4)
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[亀甲獣骨]
 中国の殷時代(紀元前18~12世紀ごろ)に亀甲や牛甲骨に文字を彫って記録した文が、1899年に河南省安陽市北西郊外で発見された。b0089323_10511951.jpg
中国で最も古い文字で甲骨文(右・図1)と呼ばれている。b0089323_1051314.jpg
 亀甲(左・図2)や獣骨は書写材料として広範に使用されたのでなく、主として占い師達のための素材であったが、占い内容と結果を鋭い刃先で彫り込み記録したという意味では書写材料の一つであった。占いの方法は、亀甲や獣骨の裏側に小さな丸いくぼみをつくり、その部分に焼けた木片を押しつけて、割れ目を生じさせる。その割れ目の形状で吉凶を占った。
 紀元前の古き時代に、何を占ったのだろうか。天気、獲物、敵の来襲、収穫、方角などが想像されるが、意外と男女の相性占いだったりして。

(図1)亀甲と申骨文字。(台湾・1979年)
(図2)亀甲(中国・1996年)
# by god-door70 | 2006-07-28 10:54 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(2)

遅ればせのサッカー談義

 2006.7.27 遅ればせのサッカー談義。ワールドカップが終わったが、フランスの選手の暴力事件でサッカー界にとっては苦しい展開が続いていた。ようやく罰金と社会奉仕で決着した。開催期間中は、新聞も数面を使って報道し、世界杯の争奪戦に世界中が燃えていた。そのお陰で、サッカーの名称の由来など興味深い記事も散見された。b0089323_10292676.jpg
 その中の一つは、「地球は洋の東西南北を問わずにサッカーで燃えている。だがそのうち何割の者が、サッカーという言葉が、蹴球の規則を統一した協会(アソシエーション)の略語(*)であることを知らないのはよいとしても、戦場で敵兵の頭蓋骨を蹴ることからその遊びが始まったことを知っているだろうか」(秀明大学学頭、評論家・西部 邁)である。
 球状のもの(ボール)を足で扱う競技(フットボール)は、古くは中国で、兵士の訓練や一般市民の遊びとして広く行われていたのだから、後半部分がもし真実とすれば「兵士の訓練」の際に敵兵の頭蓋骨を蹴ったのだろうか。あまり信じたくない話だ。
 もう一つは、「中世のサッカーは、町の若者の即興的な喧嘩で、初めはルールなど一切なかった。まさに暴徒による乱闘だったのでエドワード二世は禁止令を出している。やがて手を使わせると殴り合いになるから、足と頭だけ使うことを許すルールができたのだろう。暴れるサポーターはその発生の名残を留めている」(小説家・曽野綾子)、「サッカー会場で暴れまくるフーリガンの蛮行がその遊びの歴史にも関係している」(前掲・西部 邁)である。
 ラグビー党の私にとっては、試合そのものにはあまり関心がなかったが、サッカーのWC(便所ではなく世界杯)に関する新聞報道のお陰で、「サッカーの名称の由来」、「選手でなくサポーターが喧嘩する歴史的背景」、「フランスが人種混合野チーム(移民問題)」、「人種差別」、「社会奉仕付き罰則」など興味深い今回のWCであった。

(*)正式名称は、「アソシエーションフットボールassociation football」で、サッカーの語源は、associationのsocにcを重ねerをつけ、soccerとなったとのこと
# by god-door70 | 2006-07-27 10:32 | 美術・音楽(entertainment) | Comments(2)

切手に見る紙のお話(4) 紙がない時代の書写材料(3)

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紙がない時代の書写材料(3)
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[パーチメント(羊皮紙など)]
 紀元前1500年頃になると、羊、山羊、子牛などの動物の皮を素材としたパーチメントが、書写材料として出現する。パーチメントは折り曲げに強く、虫に喰われることが少なく、保存性にも優れていたので、 冊子本にも適していた。紙が出現するまでの間、パピルスに代b0089323_2163526.jpgわる書写材料として広く使われるようになる。
 動物の皮の供給が容易でなければ書写材料の素材として適さないところだが、羊は旧約聖書では神が人間に食べることが許した動物であった。雄の子羊は重宝がられずに間引かれ、食料用に殺され、その羊皮がパーチメントに利用された。しかし、パピルスと比べれば、高価なものであった。

(図)パーチメントは貴重であったため、主として王侯貴族たちによって書や冊子本などに用いられた(エジプト・1966年)
# by god-door70 | 2006-07-25 21:11 | 切手に見る紙のお話(paper) | Comments(0)